カラ兄!カラ兄!カラ兄!

うーちくしょう、おもしれえ。
3巻では怒涛の展開自体も面白かったのですが、その中でも特にミーチャ兄さんの大暴れっぷりが面白く、
『うはwwwメンヘラ化ktkrwwwwウザスwwwwwでもワロスwwwwww』
2ちゃんねらな盛り上がりが自分の中でありました。
ところが4巻読み始めたら
『うはwwwミーチャ覚醒ktkrwwwww惚れるwwwwww』
こんな感じ。
3巻の読書ガイドで、翻訳者が「この巻からはミーチャの内面の純粋さを堪能してね」みたいなことを言ってて、そのときは意味がよくわからんかったのです。いや、純粋には純粋だろうけどこいつそれ以前におつむが足りないだけなんじゃねーかと。4巻の序盤でコーリャ少年が言うような「バカだから正直」な人間の際立ったタイプなだけなんじゃねーかと、そう思っていました。
ところが4巻で、俺は見せつけられました。ミーチャの純粋さが彼自身と世界とに冷静に向けられたとき(この冷静が3巻までの彼になかったのです)、彼はこの物語の登場人物の誰よりも(もしかしたら主人公アリューシャよりも)、まさに純粋に「善」や「愛」や「真」や「神」に迫ったのです。いいえ、そこまで言い切ってしまうのは現時点では危険です。俺はまだ、4巻を中盤までしか読んでいないのです。つまり、俺は言い過ぎました。興奮しすぎたせいです。これは俺の悪いところです。ああ!軽蔑しないでください、いや、してくださっても仕方の無いことですが、ですが次のことを皆さんに理解していただけたら俺はとても幸いです。つまり、こういうことです。人間は、魂が震えるような善いものに出会ったとき、興奮のあまり、その善いものをすっかりかみ締める前に、まずそれに出会えた喜びを誰かに伝えたくなってしまうものなんです。皆さんが仮に魂や霊といったものを信じなければ、別の言葉に置き換えてください。たとえば、「人生に決定的な影響を与える自分の中にある何か」とか…。とにかくそういうことなんです。ところでなんだかこの文章の言い回しって、新約カラ兄っぽくありません?ああ、また余計なことを口走ってしまいました!カラ兄はこんな俺の文章よりずっとよいものです!けしてこのような駄文であるはずがありません!そして事実そうなんです!ああ、偉大なる文豪よ、許してください。僕は決して(以下一万字くらいのどうでもいい言い訳が続く)
あと、アリョーシャが普通に進化してて感動した。惚れる。

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)