「暇があること」と「心に余裕があること」は別だ

タイトルの通り。
暇があっても「ヒマだつまんねー」とか「うわ、何やろう」とか言ってる人もいるし、忙しくても色んなことに気を配り自分を楽しんでいる人もいる。この違いってどこからくるんでしょう?
俺としては「暇=つまらない」という思考になるのがよくわかりません。俺は一人で居るのが大好きなので、「暇ならカフェに行って本を読めばいいじゃない!」とか暴論を吐いてしまったりもしますが、でも現実として、「暇なくらいなら仕事をやっていたほうがマシ」という人も少なからず居ます。また、暇をつまらないと思うからこそ、暇つぶしという行為があり、その需要を満たすサービスがあるのはわかります。
そういえば、昔どっかの地方都市で「総合レジャーセンター」って看板を掲げたただのパチンコ屋を見つけて、「総合レジャー=パチンコか…」と切ない気持ちになったことがあります。
地方は娯楽の選択肢が少ないとよくいわれますが、たぶん、娯楽というか、余暇に対する意識が低いんだろうなあという気がします。その原因はいろいろありますが、とにかく、多様な余暇の過ごし方に対する意識=欲求=需要が少ないのはたしかだと思います。
…ということをつらつら考えてたらこの本思い出した。

余暇と祝祭 (講談社学術文庫)

余暇と祝祭 (講談社学術文庫)

余暇論の古典ですね。
宗教とのかかわりで余暇を論じるので、信仰心の無い人(俺とか)が同意しにくい部分もあるかと思いますが、ともあれ、余暇(≠ヒマ)とは人間を真に豊かにするための時間である、という考え方は一つ心に留めておいていいかと思うです。