くるべきときがきたのだ

実家から「ばあちゃんがボケた」という連絡がきた。認知症ってやつだね。
時間の感覚がなくなり、今が何月何日何時何分なのかわからない、話の時系列が混乱している、自分が食事を摂ったか摂っていないかわからない、…といった状態らしい。


ところで、俺の家の人間は全員、ばあちゃんと死んだじいちゃんには何かしら恨みめいた感情をもっている。
両親と、俺たち兄弟のそれぞれの代で、俺たちはあの年寄り世代に振り回されて、精神的経済的社会的になかなかにひどい目にあってきたからだ。
でも、時が経ち、彼らは文字通りに無力な年寄りになった。もともと貧乏な家だし、ろくに働かなかった彼らには貯蓄もなく、年金に頼って地味に暮らすしかない。
そんな人間に当たっても、こっちの心は晴れない。それに、恨んだところで何が変わるわけでもなく、そんな暇があったら働いたほうがよっぽど健康的だ。
そういうわけで、両親も、俺らも、年寄りたちとは当たらず触らずで暮らすことを心がけてきた。


でも俺は、両親に無用な苦労ばかり背負わせ(たと俺は思っている)、親戚や知人に迷惑をかけ(たように俺には思える)、俺や兄弟の幼少期をエゴで振り回した(と俺は思っている)この祖父母を、いまだに心のどこかで憎んでいて、何かの機会にそのことを思い知らせて、少し凹ませてやりたいとも思っていた。
もちろん、彼らはべつに人殺しをしたわけでもないんだから、こっちだってそれほどダメージを与えるつもりもない。なに、ちょっと心を改める機会を与えてやるだけだ。
さて、その時が来たら、なんと言って責め立ててやろうか…
気持ちが沈んでいると、時々そういう妄想が膨らむことがある。


…それが、両親からきたこの連絡で、ついにかなわない話になった。
だって話が通じないんじゃどうしようもない。
でも、ほっとしてもいる。これでひとつ、人につらくあたることがなくなった。


ばあちゃんの扱いについては、親父が親戚と相談した結果、介護保険などの各種制度を活用することにした。まあ、そりゃそうだ。
ばあちゃん自身も医者に告げられたことで、自分が認知症であることを自覚しているそうだ。だから、今後は本人と関係者が合意の下で動いていきそうな感じで、ちょっと安心している。周囲が勝手にばあちゃんをお荷物にして、勝手に物事を進めるようだと、なんか嫌な気分なので。


まあ、そんなこんながありました、と。