日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

抜書きで力尽きた。あとで書き直す…
抜書きとかメモとか。

2.生長の家

生長の家の宗教運動としての特徴は、雑誌の出版を主体としているところにあった。

雑誌『生長の家』が神誌として受け入れられたのは、雑誌を読んだだけで病気が治ったという人間があらわれ、それに感謝する手紙が多数谷口のもとへ寄せられたからだった。

生長の家は、ブラジルの社会に深く浸透しているカトリックの信仰を否定していない。つまりカトリックのまま生長の家に入れる。

4.天照皇大神宮教と璽宇

教祖・北村サヨについて

彼女の説法は、(中略)ナニワ節を思わせる歌による説法で、それが延々四時間も続いた。その間、大神さまは、水も飲まず、ぶっ通しで歌説法を続けた。

メモ:「これは人のなせる業ではない」と考えるその人の常識こそが宗教を支える。「こんな人間もいるんだな」くらいに柔軟な思考を持つ人は宗教にハマらない。

日本の敗戦と天皇人間宣言という出来事が起こることで、そこに生じた精神的な空白、現人神の消失という事態を補う方向で、その宗教活動を先鋭化させた。

5.立正佼成会霊友会

立正佼成会やその母体となった霊友会の信者について

こうした新宗教の教団に信者として吸収されていったのは、産業構造の転換にともなって、第二次、あるいは第三次産業に従事する労働者として地方から都市に移ってきた新しい都市住民であった。

高度経済成長の時代に巨大教団に発展したのは、いずれも日蓮宗、法華系の教団だったのである。

メモ:日本で民衆に受け入れられた宗教の特色について自分なりにまとめてみた。「教えから実現とされる欲求」と「欲求を実現する手段」でマトリクスを作ることができる。

  • 欲求:極楽浄土(戦乱の時代、危険、抑圧)←→現世利益(平和な時代、安全、成長)
  • 手段:加持祈祷(複雑、術を行う専門家が必要)←→題目(簡単、誰でもできる)
  1. 極楽浄土+題目=浄土信仰
  2. 現世利益+加持祈祷=真言宗、修験系
  3. 現世利益+題目=法華信仰
  4. 極楽浄土+加持祈祷=?(ぱっと思いつかない、不勉強でスマンです)

立正佼成会では、霊友会の伝統を受け継ぎ、総戒名をそのままとりいれ、先祖供養を実践した。これは、都市化の波に乗って地方の農村部から大都市に移ってきた人間には理解がしやすい信仰の形態だった。というのも、故郷の農家では先祖供養が営まれているからである。
(中略)
都会に出てきたばかりの人間たちが作った新しい家には、祀るべき先祖がいなかった。立正佼成会は、そうした新しい都市民に、夫婦それぞれの家の先祖を祀る新しい先祖供養の形式を教えることで、信仰の基盤を作り上げていった。

メモ:cf)創価学会

「法座」(会員が車座になって話し合う場)について

教団独自のことばは、最初は外部の人間を拒む壁になっているが、壁があるゆえに、信者となった人間は、壁を乗り越えた、つまりは試練を乗り越えたという実感を持つことができる。

メモ:宗教に限らず、学問などあらゆる専門分野でありうる話。共通言語による仲間意識。
教団が直面する問題について

若年層のあいだでの人間関係の希薄化のなかで、集うという行為さえ成り立たなくなってきた。

メモ:宗教を担う基本最小単位の変遷。
 大家族(親子孫の多世代)
  →核家族(親子の二世代)
   →同年代のつながり(一世代)
    →個人
     →匿名のつながり(世代不特定、ウェブによる)←たぶん今ここ

6.創価学会

信者の構成について

とくに年齢が若く、農家の次三男で、先祖供養の経験が乏しいような人間たちが、創価学会の会員になっていた。

座談会は、法座に比べて、参加する人数も多く、悩みを親しく打ち明けるというよりも、会員たちが信仰にまつわる体験を発表し、それで全体で盛り上がるという傾向が強い。
(中略)
雰囲気は明るかった。むしろ明るすぎて、外部の人間にはついていけないほどだった。

メモ:偏見丸出しで考えるとこんなイメージ。

  1. 家計を背負って都会に出、一家の長としての悩みを抱える長男→保守的・防御的→立正佼成会霊友会
  2. 比較的背負うものがなく、気楽な身で都会に出てくる次三男→革新的・攻撃的→創価学会

二代会長・戸田城聖の戦略

戸田は、日蓮正宗の教えだけが正しいとして、他の信仰を気って捨て、「南無妙法蓮華経」の題目さえ唱えていればいいという単純な教えを説くことで、創価学会を巨大教団に発展させていった。
(中略)
そこには明確な因果関係はなかった。しかし、高度経済成長期という社会背景があり、真面目に働いていれば、収入が増え、豊かになれるという可能性が存在した。

メモ:時代背景が教えと一致する→教団が発展する。

会員たちは、社会的に恵まれない階層に属していただけに、権力の座にのぼることへの欲望は強かった。

信仰の継承について

一般の新宗教にとって、信仰の継承が一番難しい問題である。創価学会の場合、その規模が大きく、人的なネットワークが地域その他に広がっていることが大きかった。
 組織の活動に熱心な会員は、日ごろ創価学会の会員としかほとんど付き合わない。
(中略)
日蓮正宗という僧侶集団と密接な関係をもっていたため、葬儀を契機に元の仏教宗派の信仰に戻るということもなかった。

メモ:家族ネタの続き。実家を相続する可能性の高い長男は、葬儀を実家の宗派で行う契機がある。しかし、実家との関係が希薄になるそれ以外の子供たちは、自分たちの新しい信仰に基づいて葬儀を行える。

三代会長・池田大作の神格化について

日蓮正宗との関係が切れ、組織を統合するためには、神格化された池田を組織統合の要として使うしかなかった

池田は、彼の師である戸田と同様に、会員たちのこころを引きつける力をもち、その性格はざっくばらんである。
(中略)
組織としては都合の悪いことも洗いざらい話してしまうので、教団組織の側が外部の人間との接触を制限している部分がある。

メモ:池田の神格化は本人の意向ではなく教団の意向。教団自体にとっては弾除けになって好都合なのかも。どこの組織も大きくなったらひとりの意向で動いてるわけじゃないってことだね。

グローバル化が進む現在の経済状態では、経済発展が庶民の生活の充実や安定に結びつかなくなっている。信仰しても豊かになれない状況が生まれているわけで、創価学会はその壁に直面している。

メモ:政治権力を握るという旨みを知ってしまった以上、現世利益を捨て、浄土信仰や終末思想に移行するわけにもいかない。この辺が教団運営の悩ましいところだろう。

7.世界救世教神慈秀明会と真光系教団

「手かざし」の救済システムについて+分派が多い理由

出口王仁三郎は、患部に手をあてて、病を治す手当て療法を行っていたが、やがて「御手代」と呼ばれる杓子に王仁三郎の拇印を押したものが弟子に渡され、それで病気治しが行われるようになった。

※出口は大本教を担った人物。多くの新宗教に影響を与えた。本書でも章を立てて取り上げられているが割愛。

 教団が、自分たちのところで開いている研修会なり、講習会なりに出なければ、本当の浄霊の力は身につかないと主張しても、実際には誰もが手かざしはできるわけで、意味をなさない。そこから次々に独立していく者が現れるのである。

メモ:サービスの模倣が容易になったことで、希少性が薄れた。(コモディティ化した感じ?)

世界救世教の誕生について
※前身となる日本観音教団の浄霊は「お光さま」と呼ばれ、背後には観音信仰があった。

世界救世教への改称は、観音信仰からの脱皮をめざしてのことであった。
(中略)
観音に由来する大光明如来を、宇宙の創造神である大光明真神(みろくおおみかみ)へと改め、教団の近代化、現代化を進めていった。

メモ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9参照。観音は大乗仏教では菩薩という仏格をもつ。菩薩は悟りを開いた最高位の仏格である如来の下に位置づけられている。観音菩薩阿弥陀如来の脇時とされることが多い。やたらと別身が多いのはそれだけ人々の観音への信仰が篤かったということだが、西遊記であちこちでブッダの使いで現れるあたりを思うと、マルチな中間管理職のイメージ。
なので、独自信仰として教団を確立するためには、信仰の対象を菩薩から取締役の如来に引き上げ、さらに起業者であるところの創造神にMAX格上げしたということ。たぶん。

信仰継承・組織運営の問題

浄霊には組織による活動を必要としない。(中略)共同体が形成される契機になるものがかけている。

8.PL教団

メモ:正式名称の「パーフェクト・リバティー」ってすげえ厨二病ネーミングだな…気持ちは伝わったけど…

社会との折り合いについて

新宗教が信者を集めるのは信仰による病気治しの実践を通してで、PL教団の場合にも、その点は重要な意味をもっている。
(中略)
PL教団の場合には、近代医学を認め、それを教団の活動のなかに取り込むことで、問題が起こらない仕組みを作っている。

9.真如苑

教団拡大について

バブルの時代には、高度経済成長の時代ほどではないにしても、人口の都市への集中という現象が起こり、新宗教に信者拡大の余地を与えた。そうした社会的な状況の変化が、立川に本部を置く真如苑と、創価大学のある八王子を中心に東京西部に強い地盤をもつ創価学会との対立を生んだのである。

メモ:そういえば数年前、老齢層の都心回帰が語られたことがあったけどどうなったんだろう。金を持ってて老い先短い老人が密集してたら、宗教で食ってる人たちには美味しい相手なんじゃないかなあ。病苦や孤独からの救済+死後の喜びをこれでもか!ってくらい味あわせてお布施をがっぽり…って、たぶんそのくらいはもうみんなやってるよな。いや、俺はやんないよ!

信仰のルーツ、修行のかたちについて

真如苑は、信仰の系統としては真言密教系であり、京都の真言宗醍醐寺派の総本山、醍醐寺と密接な関係を持っている。(中略)護摩を焚く理由はさまざまだが、人々はその際に日々の生活と向上を望む。その点で、真如苑の進行と現世利益は結びついている。

しかし、実際の信仰に現世利益的な雰囲気は少ない。

教団では、誰もが霊能者になることがっできるとしている。(中略)霊能者自身、霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると認識している。
(中略)
シャーマニズム的な神懸りというよりも、カウンセリングに近い。

メモ:誰でも霊能者になれ、所要時間3分程度、直感的。このインスタントさが今風。

世直しをしない宗教

一般に、新宗教が勢力を拡大するのは、社会が危機に陥ったり、不安定化している時期である。新宗教は、社会の問題点を批判し、このまま状況が続けば決定的な危機が訪れることを強調し、世界の根本的な刷新が起こるという予言を行うことで、信者を集めていく。(中略)真如苑にはそうした面はまったく見られない。
(中略)
 それは、教団の安定に寄与している。教団が終末を予言し、それで信者を集めたら、必ずその予言が外れるときを経験しなければならない。(中略)予言が外れたことに失望した信者は教団を去っていくことになる。あるいは、終末への危機意識が強くなりすぎると、一部の信者が暴走し、社会問題を起こすこともある。

真如苑は世直しをしないが、それだけ目標を立てにくくしてしまっている。

日常の退屈さをいかにしのぐかが、現代の人間の根本的な問題である。きわめて現代的な真如苑という教団は、退屈さをしのぐ機会を与えてくれそうにないのである。

10.GLA

教祖・高橋信次まわりのエピソードが面白すぐる。

高橋の義弟に紀元前千三百年、エジプトで生まれた「ワン・ツー・スリー」という霊が下って、人間のあり方について教えられた。
(中略)
新宗教で霊と言えば、先祖の霊が基本である。高橋にも先祖の霊が降りているが、それよりも重要な働きをしたのが、古代エジプトや中国の霊である。こうした霊が下ることは、新宗教ではめずらしい。そこに、GLAの新しさがあった。

メモ:というか、まず古代エジプト人なのに名前が英語というミラクル。そして高橋の守護霊は四世紀ごろ中国にいた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」。俺の腹筋を壊す気か。

後継者となった佳子は、「ミカエル・ボーイズ・アンド・ガールズ」という親衛隊を作り、彼女が登場すると、「ビバ・ミカエル」と叫び、方を組んで歌を唄ったりした。

メモ:ビバ・ミカエルでもうだめ。死ぬ。

GLAは神や仏といった存在を表に出さず、精神世界全般に活動の重きを置いている。

宗教運動としてとらえるよりも、スピリチュアルな運動のなかに含めて考えた方が、理解しやすいかもしれない。

メモ:たしかに今の若い女性なんかは神だ仏だいうよりそっちだなあ。

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)