まあマッチョになれとは言わないが、善意にも頭を使おうよという話

あなたは、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないのですか?分裂勘違い君劇場
たまにははてブ界隈のホットエントリに言及してみる。というのも、このエントリで述べられてることが、自分がたまに考えることに近かったから。

貧者といった場合、日本のホームレスも指すし海外の戦争難民を指す場合もあるんだけど、とりあえず「特に社会的な理由(≠個人的な理由)で不本意な境遇におかれている人々」くらいに考えておいてください。

特に上のエントリで自分の考えに近いと思うのは以下の点。

●自己犠牲は限られた人々しか救うことが出来ない
●ビジネスシステムは価値を生み出す限りにおいて、より多くの人々を救い富ませることができる
●募金にも投資効果が存在する


「貧者を救うのはビジネスじゃなくて善意だよ」
とか
「募金はすることに意義があるんだよ」
って考えの人もいるかもしれない。というか、実際にいる。

でも、その考えは間違ってる。
貧者を救いたいという気持ちを伝えることが目的じゃない。
貧者を救ったという結果を出すことが目的だ。
もっと踏み込めば、上のエントリのように
どうせ救うなら、自分が不利益をこうむらない形で、しかも貧者を救い続けるシステムを構築することを目的にする
ことのほうが、より良い。

街頭募金運動の効率はどのくらい?

街ではよくボランティアが募金運動をしていることがある。その行為自体は別にいいんだけど、あれってどのくらいお金が集まるんだろう。街頭募金運動の効率っていいんだろうか。

たとえば、二人の人が1日5時間街頭に立つとして、もし彼らが時給700円のバイトだったら、700×5×2=7000円の給与が彼らの仕事に対して発生する。
(この辺は実際に額を知りたいんだけど、どう調べたらわかるんだろう?)

もし、募金活動で7000円以上集るなら、彼らがバイトしてその給与を全額募金するよりも、同じ時間に街頭に突っ立って市民に広く募金を呼びかけたほうが、たしかに効率がいい。

逆に、7000円に達しない、もしくはもっとひどいなら、彼らは募金運動は今すぐやめて、どこかでバイトして、そこで得た給与を全額どこかの募金に突っ込んだほうがいい。たとえばコンビニの店員をやって稼いだっていい。法律と良識の範囲でした仕事なら、なんだって価値があるはずだ。

善意ではなく結果を

「べきだ」という話をあまりしたくないけれど、俺は、人を救うということは、つきつめれば結果主義であるべきだと思う。

こちらがいくら「がんばってあなた方を救おうとしたんですよ」と過程や志(こころざし)を力説しても、それで相手の状況が好転してないなら意味が無い。

もちろん、相手は「自分を救おうと尽くしてくれた人がいるのはうれしいな」と思ってくれることもあるかもしれない。それによって相手を精神的に力づけることになるかもしれない。

けれど、その人にとって今日の食事や薬や暑さ寒さをしのぐ場所や勉強の機会が手に入らないという現実が何も変わらないんでは、その力説にどれほどの価値があるのだろう。

…って、すごく当たり前のことしか言ってない気がするけど、たまに自分の善意で自己陶酔しちゃう人(上のエントリで言う自己犠牲教の信者とか)もいるので、一応書いておきました。

で、俺の場合

「まあ言いたいことはわかった、で、お前はどうなのよ?」ということで俺自身のことを正直に書くと、あんま偉そうなこと言えることしてない。
はてブにも書いたけど、こんな感じ。

●自己犠牲はしない。俺は自分が大好きだし、不利益を蒙るのが嫌なので。
●身近な人助けはする。出来る範囲で。だって寝覚めが悪いから。別に知り合いじゃなくても、俺の視界に入ったりして俺の「周辺」に認知された人間なら誰でも。
●貧者への慈善は、するかもしれないし、しないかもしれない。正直にいうけど、俺は自分がよければそれでいいんだ。でも、こういうことをたまに考えるとやっぱり寝覚めが悪いので、ストレスが溜まっていつかやるかもしれない。そのときは損したくないので、投資効果を考えてやるか、ちょっとくらいミスしてもいいくらい金をもっておく。

こんな感じ。