俺の中高生を見る目つきが犯罪者を見るときのそれと同じであることを、彼らも気付いているのではないか。

タイトル長いよ>俺。
あの年代の子供たちが徒党を組んで昼間からマクドナルドでだべってたりするのを見ると、じわっといやな気分になる。俺は心が非常に狭い人間なので、彼らが若いうちからもう人生の可能性の大半をドブに捨ててるように見えて、もうこのあとこいつらが社会に出てもロクに生産的な仕事はできなさそうだし、金を持ってはモンスターコンシューマーであり、子供を持ってはモンスターペアレントであり、傷病を患ってはモンスターペイシェントであり、老いてはモンスター…なんて言うんだろ?ともあれ、そうなって世の中に迷惑を撒き散らしていくだけなんだろうなあと思うと、ズーンと暗い気持ちになる。他人から「必要な人」ではなく「迷惑な人」「不要な人」として見られるなんて悲しいじゃないか。しかも本人たちにその自覚がないなんて。
といっても、俺は彼らを叩きなおしてやろうとか、世の中をどうにかしようとか思ってるわけではない。単純に、彼らの被害者にはなりたくないということ、それと視界に入ると見苦しいから一緒の空間にいたくないこと、この二点だけを願っており、実際に行動に移している。たとえば、彼らが近寄らなそうな店を利用したり。例外がマクドナルドで、最初はガキ臭いと言って毛嫌いしていたが、この間利用してみたら、店内で社会人や年配者と、彼ら子供たちとの間に住み分けのようなものがあることに気付き、積極的に前者の固まる席に行くようにしたらなかなか快適だった。騒音がネックだがiPodでカバー。
こうして俺は人を勝手に嫌いになり遠ざけているんだけれど、今日ふと、彼らが俺のような視線に気付いてないことがあるだろうか?という疑問を持った。
一見すると、こちらが「またガキどもが」みたいな視線を一瞬送ったところで、彼らは自分たちの世界に没頭しており、気付いている様子はない。でも、気付いていて気にしないようにしているだけ、という可能性だってないわけではない。つまり、そういう視線にさらされるのに慣れており、その上で、「俺たちはこんな感じだけど何、文句アンの?」みたいなことを考えてるのかもしれない。
なぜそんなことを俺が考えたかというと、人は他人から見られているように振舞ってしまう習性があることを思い出したからだ。ものすごく単純化して言うと、たとえば「どうせお前は俺の子だからバカだ」と親に言われ続けた子供は、自分の可能性をとことん試す前に「どうせ自分はバカなんだ」と思い込んでしまい、実際にそのように振舞うようになる可能性がある、ということ。
以前、指導に従わない中学生だか高校生だかを殴った警官が、ネット上で喝采を浴びたことがあった。世の人々は、そんな感じで「今の子供たちはヤバイ」とか思いながら、一方で「一発殴ってやりたい」くらいは思っているんじゃないのか。で、俺と同じように、モンスターを見るような目で、彼らを見ているんじゃないか。あるいは、モンスターと目を合わせないようにするのと同じように、彼らと目を合わせないんじゃないか。彼らはそういった視線に、日々さらされて生きてるんじゃないか。「お前たちは怪物なんだよ」というメッセージを日々与えられて生きるのは、もちろん楽しいことではないはずだ。
ええと。
まあ、そんなわけで、だから何ってわけじゃないんだけど、今日マクドナルドで傷病手当金の申請書を書きながら斜め向かいのテーブルでだべってる高校生たちを見ながら思ったことを書いてみました。